★★十八歳で成長が止まった釣り我喜親爺日誌(不定期)★★

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昭和が消える

我が家の裏には大きな工場が有る、此の工場は大正時代は紡績工場だったが昭和に
入る頃ケミカル工場に変わると同時に大戦に突入、市道を閉鎖して大きなボイラー室を

建設、其の時に可也の大きさの煙突が立ち、隣の広場は子供の時には石炭の山が遊び
場で婦人会の訓練場「竹槍の」でも有った。

戦争が終って平和産業に変わり、戦後の需要の増大で、工場も拡張されると、石炭が
石油に替わと煙突も一回り大きくなって、広場には大きなタンクが立ち、立ち入り禁止で
市道は完全に封鎖されてしまった。

戦時中此の煙突は我が家には面白いエピソードがある、其れは終戦間際の初夏の頃の
朝、何時もの様に空襲警報が発令されて暫くした時、一機の艦載機が此の煙突目掛けて

急降下、母親は朝食用の漬物を両手に裏口に出たところへ、急降下の飛行機と出会った
から、驚いた母は両手の漬物をほり投げて、大きな奇声を上げながら、家の中へ飛び込

んで来たが、艦載機は我が家の上空で90度旋回して琵琶湖方面に機首を向けると、
バリバリと物凄い機銃の音をたてたから、子供の私も怖くて家を飛び出し、近くの田んぼ

のにお「藁を積んだ物」の影に隠れた記憶が有る、此の銃撃は私の町で唯一攻撃された
事だが、此の攻撃で此れも又唯ひとり、戦争中の犠牲者が出た事件でも有った、コンナ

思い出が有る煙突だが、二月の初めから大きな燃料タンクを取り壊し始めたので、燃料を
LNG「天然ガス」に切り替えるのかと思っていると、ボイラー室も壊してしまった、跡地に

クレーン車が入り今度は50メートル程の煙突も取り壊し始めた、私は否応無しに毎日、
縮んで行く煙突の姿を見ていると、又昭和が消える思いが込み上げて・・・戦後を支えた

煙突も時代が変われば悪者の象徴みたいに取り壊される姿は、自分の姿の様な気がし
て・・・何も無かった様な更地には、今度は何が・・・              オヤスミヤス
by tsurigaki | 2007-03-08 18:58 | 日本の風景
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後一ヶ月


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