昭和が消える
我が家の裏には大きな工場が有る、此の工場は大正時代は紡績工場だったが昭和に
入る頃ケミカル工場に変わると同時に大戦に突入、市道を閉鎖して大きなボイラー室を
建設、其の時に可也の大きさの煙突が立ち、隣の広場は子供の時には石炭の山が遊び
場で婦人会の訓練場「竹槍の」でも有った。
戦争が終って平和産業に変わり、戦後の需要の増大で、工場も拡張されると、石炭が
石油に替わと煙突も一回り大きくなって、広場には大きなタンクが立ち、立ち入り禁止で
市道は完全に封鎖されてしまった。
戦時中此の煙突は我が家には面白いエピソードがある、其れは終戦間際の初夏の頃の
朝、何時もの様に空襲警報が発令されて暫くした時、一機の艦載機が此の煙突目掛けて
急降下、母親は朝食用の漬物を両手に裏口に出たところへ、急降下の飛行機と出会った
から、驚いた母は両手の漬物をほり投げて、大きな奇声を上げながら、家の中へ飛び込
んで来たが、艦載機は我が家の上空で90度旋回して琵琶湖方面に機首を向けると、
バリバリと物凄い機銃の音をたてたから、子供の私も怖くて家を飛び出し、近くの田んぼ
のにお「藁を積んだ物」の影に隠れた記憶が有る、此の銃撃は私の町で唯一攻撃された
事だが、此の攻撃で此れも又唯ひとり、戦争中の犠牲者が出た事件でも有った、コンナ
思い出が有る煙突だが、二月の初めから大きな燃料タンクを取り壊し始めたので、燃料を
LNG「天然ガス」に切り替えるのかと思っていると、ボイラー室も壊してしまった、跡地に
クレーン車が入り今度は50メートル程の煙突も取り壊し始めた、私は否応無しに毎日、
縮んで行く煙突の姿を見ていると、又昭和が消える思いが込み上げて・・・戦後を支えた
煙突も時代が変われば悪者の象徴みたいに取り壊される姿は、自分の姿の様な気がし
て・・・何も無かった様な更地には、今度は何が・・・ オヤスミヤス
入る頃ケミカル工場に変わると同時に大戦に突入、市道を閉鎖して大きなボイラー室を
建設、其の時に可也の大きさの煙突が立ち、隣の広場は子供の時には石炭の山が遊び
場で婦人会の訓練場「竹槍の」でも有った。
戦争が終って平和産業に変わり、戦後の需要の増大で、工場も拡張されると、石炭が
石油に替わと煙突も一回り大きくなって、広場には大きなタンクが立ち、立ち入り禁止で
市道は完全に封鎖されてしまった。
戦時中此の煙突は我が家には面白いエピソードがある、其れは終戦間際の初夏の頃の
朝、何時もの様に空襲警報が発令されて暫くした時、一機の艦載機が此の煙突目掛けて
急降下、母親は朝食用の漬物を両手に裏口に出たところへ、急降下の飛行機と出会った
から、驚いた母は両手の漬物をほり投げて、大きな奇声を上げながら、家の中へ飛び込
んで来たが、艦載機は我が家の上空で90度旋回して琵琶湖方面に機首を向けると、
バリバリと物凄い機銃の音をたてたから、子供の私も怖くて家を飛び出し、近くの田んぼ
のにお「藁を積んだ物」の影に隠れた記憶が有る、此の銃撃は私の町で唯一攻撃された
事だが、此の攻撃で此れも又唯ひとり、戦争中の犠牲者が出た事件でも有った、コンナ
思い出が有る煙突だが、二月の初めから大きな燃料タンクを取り壊し始めたので、燃料を
LNG「天然ガス」に切り替えるのかと思っていると、ボイラー室も壊してしまった、跡地に
クレーン車が入り今度は50メートル程の煙突も取り壊し始めた、私は否応無しに毎日、
縮んで行く煙突の姿を見ていると、又昭和が消える思いが込み上げて・・・戦後を支えた
煙突も時代が変われば悪者の象徴みたいに取り壊される姿は、自分の姿の様な気がし
て・・・何も無かった様な更地には、今度は何が・・・ オヤスミヤス
by tsurigaki
| 2007-03-08 18:58
| 日本の風景